今週のお題「SFといえば」
全人類の皆さん、おはこんばんわ!
My fans, hello!
今月もいろいろありますが、皆様お元気でお過ごしでしょうか?
都市伝説が都市伝説でなくなるアノ事件が起こったり、7月なのに猛暑日が続いたりと、皆様、どうぞお気を確かに!!
さて今回は、お題に乗っからさせて頂き、SFについて語らせていただきます。
※これから語る全ては、個人の感想及び空想ですので、アツくならずにお読み下さい。
SFとは
サイエンス・フィクション( Science Fiction)の頭文字をとったもので、一般小説とは異なり、科学(Science)を用いた小説 (Fiction)という事である。
では、科学がない時代にはSFがなかったかというと、神話や伝説の中(『竹取物語」や、『浦島太郎』など)にもそのルーツはあると思われる。(参考文献:ヨコジュンのSF塾)
ヨコジュンのSF塾―宇宙的おもしろ講座 (1982年) (集英社文庫―コバルトシリーズ)
自分の中でのSF
僕が生まれてきた時には、SFはすでに、小説や漫画、ドラマや映画やアニメなど、すぐそばにあり、当たり前のように触れてきた。
ただし、当時の市民権としては評価が低くく、『SFは子供が観る(読む)もの』といった風潮があったように思える。
むしろ、当時子供だった僕には、好都合だったかもしれないが、それでも漫画を買うときには、親を説得するのに、そうとう骨を折ったし、裏技として、”SF的な本や小説”を購入せざるをえなかったのだ。
そこで、買い始めたのが、『もしもの世界 』を筆頭とする、『ジュニアチャンピオンコース』シリーズになるのである。
もしもイルカが人間と話し合えたら…
もしも死なない薬が作れたら…
もしも地球の中心まではいっていけたら…
もしも海の水がなくなったら…
もしも海流の流れが変わったら…
究極の心配症みたいなネタが、所狭しと語られるのである。
中には、現実になった事もあったのかもしれない。
予言書的な部分もあったのかもしれない。
でもね、当時子供だった僕にすれば、
知らんがな…
だったのである。
それより、漫画がほすいぃ!のである。
『ジュニアチャンピオンコース』シリーズは、けっこう集めてましたね。
読んではないけど・・・
初めて読んだSF
漫画と漫画を購入するブランク期間に、購入できないストレスで気が狂いそうになる。
そこで、初めてSFを読む事になるのだが、たしか、この本だった気がする。
小松左京先生の『宇宙人のしゅくだい』です。
「ちょっとまって! わたしたちがおとなになったら、きっと戦争のない星にして、地球をもっともっと、たいせつにするわ……。」
ヨシコのした宇宙人とのやくそくは、はたして実現されるでしょうか。
表題作『宇宙人のしゅくだい』ほか、次代を担う子どもたちへの期待をこめておくる25編のSF短編集。 (商品の説明より)
とあるように、『世界平和』の話でもあると思う。
当時は、小松先生の作品とは知らずに読んでいたが、後に小松先生に” かぶれた "時に気づき、もう1度読み直した、僕のSFバイブル的な作品。
小松先生は、第2次大戦で悲惨な経験をされており、平和に向き合った作品も、多かったと思います。
僕がなぜ” かぶれた "のかと言うと、先生の作品には、常に『オチ』があり、一言でまとめると、『SF界のO・ヘンリーというか、O・ヘンリーのSF版』だったからだと思う。
今でも、けっこう小松先生のお話は、思い出したりします。
例えば、ドラマ 『みんなエスパーだよ!』(宇宙人のしゅくだい)とか、『イヴの時間』(五月の晴れた日に)などなど。
好きな作家
もちろん、小松先生は大好きなのだが、特に” かぶれた "のが、『カート・ヴォネガット(Jr)』先生である。
この先生の場合、どの作品のどこが好きとかは言えないのだが、伊藤典夫さんの翻訳もすばらしく、読みやすくもあり、ついついSFである事も忘れてしまい、まんまと ” かぶれて "しまったのである。
カート・ヴォネガット(Jr)先生は、ドイツ系アメリカ人で、第2次大戦中に捕虜として、東ドイツに住んでおられる時に、ドレスデン爆撃を受けておられます。
その時の経験が、作品『スローターハウス5』に反映されています。
日本も壊滅的な残虐を受けましたが、東ドイツも壊滅的な爆撃を受けていたようです。
このお話は、SFというよりは、ドキュメンタリーだと、僕は思っています。
歴史では習わない、裏側のおそろしい事実も、知ることができます。
そして、全作品を通して、1貫されたテーマであり、ある言葉も残されています。
その言葉とは
「愛は負けても、親切は勝つ」
愛とは、見返りを待っていたり、期待したりしては、いないでしょうか?
悪い時には、お互いが傷ついたりしてはいないでしょうか?
それに対して、親切は、自己完結。
傷つく(負ける)ことはありません。
時に、親切は愛をも超越するのではないでしょうか?
余談ですが、僕の当時大好きだったバンド『ZELDA』も、2枚目のアルバム『カルナヴァル』に、『スローターハウス』という曲名で、歌われています。
ここで自分も含め、当時、共感した皆を『カート・ヴォネガット・ジェネレーション』と呼びたい。
最近のおすすめSF
このままのペースでいくと、終わりそうもないので、残りは次回以降にまわしまして、いつか紹介したかった、僕の最近のおすすめSF映画を、ご紹介したいと思います。
それは…
はい、コリーヌ・セロー監督の『美しき緑の星』です。
地球よりも遥かに小さな惑星である美しき緑の星は、豊かな自然に恵まれ、人々は自給自足で助け合う循環社会を形成している。
大都市も身分制度もないユートピアの美しき緑の星の住民にとって、貨幣制度や戦争を繰り返す地球という惑星は、極めて原始的な文明レベルにあるだけでなく、まるで地獄のような星。
美しき緑の星には「星外派遣」という任務があり、文明化が遅れている惑星に美しき緑の星の住民が派遣され、その星の現状を調査したり、文明の方向性を軌道修正したりする。
「わたし、行ってみたいわ」 危険な惑星である地球への派遣に、美しき緑の星の住人は誰も手を挙げて行きたがらない中、勇気ある主人公ミラ(コリーヌ・セロー)が地球派遣の任務に1人手を挙げる。
そして、美しき緑の星、宇宙の常識から見た、今の地球は一体どんな視点で見えるのか。 ( 商品の説明より)
この映画は、アマプラ・ビデオでしか映画を観なくなった僕が、どうしてもお金を出して、わざわざ観たいと思った映画になります。
何度かこのブログでも僕が唱えた、『地球宇宙刑務所説』に近い考えの方の映画のようで、フランスでは発売禁止になるなど、いつ日本でも発禁になるかもしれないと思い、即ゲットした映画になります。
なぜ日本で発売されたかというと、僕の調べでは、”募金のシーンがカットされている”かららしいです。
募金か…。
あまりに踏み込んで描写してしまったのかもしれませんね…。
日本人も、赤い羽根とか、緑の羽根とか、いい加減気付けよ!!(自粛?)
ストーリー自体には影響はないものの、フランス政府の闇が観れなかったのは、余計に気になるところ。
主人公のミラは、地球でいうところの”超能力”が使えるので、数々の困難を乗り越えられるのですが、そこでは成敗されるヒトが必ず出てきます。
この映画には関係ないかもしれませんが、ホラー映画等で襲ってくる人間の事も考察してみると、監督の意図がわかって面白いですよ、最近気づきました。
最後にSFとは
市民権を得ていなかった時より考えると、人類が成長する過程で、できるべくして成り立った、一つのコンテンツ(文化)では、ないでしょうか。
SFの認められない世界(星)は、あまりに窮屈で、退屈に違いない。
「そうゆうものだ。」 (カート・ヴォネガット.Jr)
最後に1曲
www.youtube.comhttps://www.youtube.com/c/menontomoushimasu
今回はこの辺で・・・
OK,Let's go to the next star.🌠