全人類の皆さん、おはこんばんわ!
My fans, hello!
暑い!
皆さんくれぐれも、熱中症にはお気をつけて!!
聞いた話によると、熱中症にかかってからでは、体力がなくなって、体が動かないらしいので、無理をせずに、早めにエアコンなどをつけて涼んでください。
さて今回のテーマは、まさか取り上げる事になろうとは思いませんでしたが、取り上げざるをえない事が、いまだに起きているようなので、書かせて頂くことにしました。
理由は最後に説明させていただきます。
※今回も『戦争』を扱うため充分お気をつけてお読みください。いつも通り、人種差別主義と戦争には大反対で、結論から言えばそういう内容になっています。また、今回も、実在する人物・及びその発言・文献を除き、これから語る全ては、個人の感想及び空想ですので、アツくならずにお読み下さい。
どこから語るべきか?
歴史は苦手で、ろくに勉強してこなかったため、どう伝え始めていいのかわからない。
戦国武将や、世界大戦などを扱った『人殺しの歴史』の中に、何も魅力を見い出せなかったため。というのが正直な感想だ。
名言や理にかなった作戦があったのかもしれないが、今世界を見てみても何も教訓などなかった事が、実証されている。
本来は哲学に分類されるはずの、孔子の『論語』ぐらいにしか、自分には歴史上必要なものはなかったと言い切れる。
そして、
浅い知恵を絞って、『真珠湾攻撃』から書くのがいいのではないか?と思いつく。
■原爆を回避できた1つ目の条件)駐米日本大使館の業務遅滞がなければ。
真珠湾攻撃とは、1941年12月8日(ハワイ時間12月7日)未明、アメリカ合衆国のハワイ準州オアフ島真珠湾(パールハーバー)にあったアメリカ海軍の太平洋艦隊と基地に対して行った、航空母艦(空母)艦載機および特殊潜航艇による奇襲攻撃である。
スピルバーグの映画『1941』の元にもなった出来事だ。
余談だが、スピルバーグの戦争映画では、『プライベート・ライアン』しか、ちゃんと観たことはない。
この作品だけは、『”戦地に巻き込まれた大部分の人”を描いた真実の作品の一つ』であると思う。
話を戻そう、日本が奇襲したとなっているが、その背景は、アメリカの中国に対する軍事的および経済的支援と、その後すぐに続いた日本への経済制裁(1941年の夏から秋にかけて、アメリカは日本の資産を凍結するとともに、日本への石油輸出を禁止した。またハル・ノートにより、日本の制裁は加速された。)に対する報復だったのだ。
さらに奇襲攻撃となっているが、実は宣戦布告は行われたつもりであって、外務省の出先機関(ワシントンDCの駐米日本大使館)の独断による、業務遅滞の結果だったのである。
真珠湾攻撃…なぜ日本の宣戦布告が遅れたのか? | 渡部昇一 | テンミニッツTV
つまり、この出来事、真珠湾攻撃があるまで、中国に対する軍事的および経済的支援及び、日本に経済制裁をしておきながら、アメリカは中立(?)であったということです。
その姿勢は、皆さんもご存じのとうり、現在もロシア・ウクライナ戦争で継続中です。
また、奇襲とありますが、当時の大統領フランクリン・ルーズベルトは知っていたという説もあります。
【入門・日米戦争どっちが悪い(6)】「真珠湾」事前に知っていたルーズベルト 現地に教えず見殺し(1/5ページ) - 産経ニュース
参戦しないとしながらも、事件の3日前の12月4日『勝利の計画―1千万人動員計画』を、「シカゴトリビューン紙」が暴露していたのです。
中立の裏では、着々と戦争に向けて準備していたことになります。
第1回 真珠湾「騙し討ち」説の崩壊―ルーズベルトは知っていた、その最終にして完全なる報告|PressWalker
そう、9・11の時のように。
■原爆を回避できた2つ目の条件)レオ・シラードさえいなければ。
マンハッタン計画は、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツなどの一部枢軸国の原子爆弾開発に焦ったアメリカ、イギリス、カナダが原子爆弾開発・製造のために、ロバート・オッペンハイマーを中心とした、科学者、技術者を総動員した計画であり、計画名は、当初の本部がニューヨークの”マンハッタン”に置かれていたためである。
実はこの計画、1939年8月2日、レオ・シラードがアインシュタインと共に、ルーズベルト大統領への進言によって、原子爆弾開発のきっかけを作った計画である。
レオ・シラードは、ハンガリー生まれのアメリカのユダヤ系物理学者・分子生物学者であり、少年期のシラードは知的に早熟で発明に熱中したが、ひどく不器用で、ピアノを習っても音の強弱の違いが理解できず止めてしまい、学者となってからも、突飛なアイデアを出すことに情熱を傾けるものの、手を動かす地道な作業が必要となるとあからさまに興味を失い、子供の頃から過剰に心配性でもあり、血や暴力や激しい運動も苦手であったらしい。
事件等があった時、子供の頃の情報がいるのか?というと疑問だが、今回は必要であると考えます。
なぜなら、成長していないのだ。
家にこもっていたとなると、けんかもしないし、もちろん血や暴力とは無縁で、同時にそれは”痛みがわからない”まま生き続けていた事になる。
以前eスポーツの回で、『ヴァーチャルとは、似て非なるもの』と説いたがこういう意味である。
ゲームで痛みがわかりますか?
原爆は、彼にとって、ゲームの1部であったのではないかと思われる。
合わせて読みたい?↓
なお、以降アインシュタインはマンハッタン計画には関与しておらず、また、政府からその政治姿勢を警戒されて、実際に計画がスタートした事実さえ知らされていなかったらしい。後にアインシュタインはそんな手紙に署名したことを後悔したという。
レオ・シラードとアインシュタインの違いはそこで、知名度を見ても分かると思います。
じっさいにこの記事を書くまで、レオ・シラードという名前など聞いた事もありませんでした。皆さんは知っていましたか?
いや本当のラスボスは、いつも世には出てこないものかもしれません。
■原爆を回避できた3つ目の条件)ロバート・オッペンハイマーさえいなければ。
マンハッタン計画が開始される中で1943年、ロバート・オッペンハイマーはロスアラモス国立研究所の初代所長に任命され、原爆製造研究チームを主導した。彼らのグループは世界で最初の爆縮型プルトニウム原子爆弾を開発し、ニューメキシコでの核実験(『トリニティ実験』と呼ばれている)の後、大日本帝国の長崎市に投下されることになった。
※今回は下線部分をウィキより変更しています。
オッペンハイマーは、ドイツからのユダヤ系移民の子としてニューヨークで生まれた。 非常に早熟で、子供の頃から鉱物や地質学に興味を持ち、数学や化学、18世紀の詩や6ヶ国の言語を学んでいた。一方で運動神経にはあまり優れず、同世代の子供たちと駆け回って遊ぶことはほとんどなかった。
またまた、”一方で運動神経にはあまり優れず、同世代の子供たちと駆け回って遊ぶことはほとんどなかった。”のである。
”痛みがわからない”まま生き続けていた事になるのである。
何度でも言おう、
原爆は、彼にとって、ゲームの1部であったのではないかと思われる。
実際、トリニティ実験では、ニューメキシコ州の爆心地の風下にいた「ダウンウィンダー」 と呼ばれる被曝の可能性がある住民には、長年に亘り、判然としないがんの発症例がニューメキシコ州南中部一帯で繰り返し発生し、多くの住民が死亡している。
気付いていないのだろうか?
そして4世代にもわたり、今なお続いているのだ。
この実験による死者も0人とされているが、果たして本当だったのだろうか?
過去には、人権を無視した、フィラデルフィア実験を行ったアメリカだったが。
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また、深さ3 m、直径330 mのクレーターが残されていたにも関わらず、
オッペンハイマーの感想は「この程度のものか」だったという。
今なお続く核実験は、いったい何(誰)のため?
余談だが、1947年に起きたロズウェル事件では、『核を偵察するために地球に訪れた』と、異星人は証言していた。
なぜならば、太陽を元にしてエネルギーを開発していく、地球以外の生命体に対して、未知なる”核”をエネルギーに変換していく地球人は、宇宙に存在するものにとっての『脅威』であるらしい。
また、核によりもたらされた死は、『魂(意識体)』をも破壊するらしく、二度と『魂(意識体)』を持たないらしいのだ。
そう、『転生』という言葉が正しいのかどうかはわからないが、二度と甦(よみがえ)れないのである。
実際に原子力事故などが起こった時、または起こりそうな時に、未確認飛行物体などの目撃例が多いのは、このせいではないだろうか?
■原爆を回避できた4つ目の条件)ハリー・トルーマンさえいなければ。
ハリー・トルーマンは、1945年4月12日のフランクリン・ルーズベルトの死去を受けて副大統領から大統領に昇格した。白人至上主義者団体クー・クラックス・クラン(KKK)への加入歴もある第33代アメリカ合衆国大統領である。
ミズーリ州ラマーにて誕生した。トルーマンが6歳の時に彼の親はミズーリ州インディペンデンスに引っ越し、そこで人格形成の時期の大部分を費やした。
もうね、ナチスがだめで、クー・クラックス・クランはいいという、線引きがわからない。
やってる事が同じなのに。
調べていくと、トルーマンはカンザス・シティの群判事だった当時、カンザス・シティを支配していたギャング(市会議員)トム・ペンダーガストの手引きで、地方政治の世界に誘い込まれ、ペンダーガストの選挙工作により、自身の意志とは関係なく、消去法で棚ボタ式に大統領の座にまで上り詰めた男のようだ。
トルーマンが選挙工作によって上院議員となったとき、この事実を知っていた人々は『ペンダーガストの上院議員』と彼を呼んだらしい。
ジャズと原爆─カンザス・シティ~ヒロシマ・ナガサキ~ウクライナ【ヒップの誕生】Vol.36 | ARBAN
つまり、人種差別主義の、お調子者の、悪事を隠蔽する、片田舎のおっちゃんが、棚ボタ式で、大統領になったのである。
もちろん、今までのものと同じく、痛みがわからない事に加え、微塵な道徳心さえもトルーマンにはなかった事だろう。
実際、当時のトルーマン担当記者は「まるで街中(まちなか)から適当に拾ってきたような人物がホワイトハウスにやってきた」と語ったらしい。(『まさかの大統領』)
そしてこの男は、戦後のソ連(現ロシア)を警戒して、自分の偉業(?)を誇示するためだけに、降伏間近だった日本に対して、無意味な原爆を2発も落としたのである。
■原爆を回避できた5つ目の条件)バーナード・バルークとレスリー・グローブスさえいなければ。
しかし、トルーマンによる正式な承認が記録された投下命令の文書は、いまだに見つかっていない、トルーマンの7月25日の日記には『原爆の投下場所は軍事基地のみに限る』と書いてあった。本当だとすると、誰が広島に決めたのか?
そこである人物が浮かび上がる。
バーナード・バルークである。
サウスカロライナ州カムデン出身のユダヤ系アメリカ人であり、戦争を一種の公共事業と認識している(この時点でサイコパスだが)人物で、第一次世界大戦ではウィルソン大統領の、『裏の大統領』(選挙工作した見返りに大統領府へ自由に出入りできる立場)となり、戦時産業局長官を務め、アメリカにおける軍産複合体の実権を握ったため『死の商人』とも呼ばれる。
ロス・チャイルドと共に、ドイツにヒトラー政権が誕生する手助けをしたという説もある。
アメリカの原爆開発計画と「原爆ホロコースト」の実態 ~広島・長崎で起きた悲劇と米ソ軍拡競争の舞台裏~
第二次世界大戦中は、原爆開発の有力な支援者となり、裏の大統領として『マンハッタン計画』を指導していて、マンハッタン計画の『マンハッタン』には、”彼が当時住んでいた土地であったからである”という説もある。
原爆が完成すると、大統領顧問として、原爆の対日使用を積極的にすすめたのである。彼は広島ではなく『京都』への原爆投下を強く主張していた。
また、原爆投下目標選定を行っていた時、レスリー・グローブス准将(当時)が、ヘンリー・スティムソン陸軍長官(当時)に対して、『京都』を原爆投下にと、強く主張していた理由は、この男とつながっていたことが充分考えられる。
目標選定を行っていたグローブスたちが、意図的にトルーマン達を騙すために、報告書に『広島は日本有数の港と軍事物資の供給基地など、軍の大規模施設が集まる陸軍都市である』と述べられていたという。
このためトルーマンは、”広島に原爆を投下しても一般市民の犠牲は、ほとんどない”と信じ込んでしまい、投下目標候補から広島を外すことはなかったという。
■原爆を回避できた6つ目の条件)オットー・ハーンとフリッツ・シュトラスマンさえいなければ。
ここからやっと、本題に入ります。
オットー・ハーンは、ドイツの化学者・物理学者。主に放射線の研究を行い、原子核分裂を発見。1944年にノーベル化学賞を受賞。
フリッツ・シュトラスマンは、ドイツボッパルト出身の化学者、物理学者。1938年にオットー・ハーンと共に、カイザー・ウィルヘルム研究所にて、ウランの原子核分裂を発見した。
また、オーストリアの物理学者であるリーゼ・マイトナーを含めた3人で、ウラン239、プロトアクチニウム233(ウラン系物質)を発見した。1940年3月には、世界最初の「実験原子炉」がベルリン・ダーレムに設置された。
ナチスの原子核研究は、アメリカよりいかに進んでいたのかが伺える。
ちなみに、現在カイザー・ウィルヘルム研究所(カイザー・ヴィルヘルム学術振興協会)は、ロック・フェラー財団傘下のようです。
ここまでの話を統合すると、ロス・チャイルド(ドイツ)と、ロック・フェラー(アメリカ)の戦いだったのでしょうか?
一見、逆張りにも見えますが。
話を戻そう、この3人が発見したウランにより、極秘裏に原爆が開発されていたらしいのだ。
また今更ながら、「この記事をいつかは書きたい」と思ったきっかけになった動画がある。
https://worldforum.jp/information/2017/02-3.html
高橋五郎さんは、以前このブログでも取り上げた、佐宗邦皇 (さそう くにお)さんが代表幹事を務めておられました『ワールドフォーラム』のメンバーでした。
あわせて読みたい?↓
そしてここからは、高橋五郎氏が執筆された著書による説を、全面的に取り入れさせて頂きます。
べラスコの告白
べラスコとは、第2次大戦中、ナチス・ドイツや大日本帝国のスパイとして活動した、スペイン人、アンヘル・ベラスコの事である。
アンヘル・アルカサール・デ・ベラスコ - Wikipedia
1940年ドイツ軍は、ベルギー・オランダ・ルクセンブルグを攻撃(黄作戦・Fall Gelb)し、地球上のウラン産出地域を占領し、ウラン資源がアメリカ側に渡ることもなく『ウラン型原爆』の製造条件は、全てドイツの手に独占された。
ナチス製原爆のエレメント、すなわち爆弾の個々の部分と素材は、チェコのボヘミア地方の原生林に移送されて組み立てられ、1942年4月21日に段階的実験を大成功させた。この実験グループの統括責任者はハベルムール博士で、彼は当時最も革新的な兵器の開発研究者らで構成されたグループの統括責任者だった。
なお、終戦後ハベルムール博士はソビエト軍に拉致され、ブレスラウのミテ工場に留置されたのち、モスクワに送られ、その後の消息は不明となっている。
美しきペテンの島国: 続・真説 日本の正体 - 高橋五郎, 小池壮彦 - Google ブックス
実際、ウィキ等調べてみても、全くと言っていいほど、ハベルムール博士の情報は出てこない。
続けてこの本によると、
バルト海沿岸の「ペーネミュンデ基地」でナチス製原爆は最終的完成にいたり、その後ベルギーのリハエ郊外にある基地に移送保管された。『ゾンデルブーロー第13号』と称される極秘の爆撃機でロンドン、リバプールの上空で投下する予定だったが至らなかった。未投下の理由は、ヒトラーが「死体はもうご免だ」と言って、中止を命じたためだった。
残念ながら「ゾンデルブーロー第13号」機は、ネットで探してみても見つからなかったが、当時の時期や内容から逆算すると、『Fw200コンドル』が近いのではないかと推測される。
ドイツ製の原爆は当初、ラグビーボールの大きさぐらいだったということもあって、充分搭載可能だったと思われる。
ということは、ヒトラーが投下命令を受理していれば、最初の原爆はイギリスに投下されていたのかも知れないのである。
しかも、もしリバプールに落とされていれば、当時リバプールで生まれていたビートルズのメンバーも、巻き添えを受けて、『ビートルズが存在しない世界』も充分考えられうるのだ。
考えて頂きたい
ビートルズのいない世界を
■原爆を回避できた7つ目の条件)ロンメルがアメリカに原爆を渡していなければ。
ナチス製原爆は、ドイツの英雄エルヴィン・ロンメル将軍麾下のハンス・シュパイデル参謀長が管理した。
アフリカ戦線から撤退したロンメル将軍は反ヒトラーグループ「黒いオーケストラ」と内通し、ベルギーに根を張る国際金融資本のコネクションを通じて、ナチス製原爆を1944年半ばにアメリカのアイゼンハワー連合軍最高司令長官に引き渡した。ロンメル将軍は原爆の持つ政治的価値を全く理解していなかった。
『ベルギーに根を張る国際金融資本』・・・?まったく情報が出てきません。
それらしき銀行は出てきましたが、なぜかフランスの銀行になってて、わけがわかりません。
もう隠されているとしか思えません。
あと、トルーマンの後になる次期大統領『アイゼンハワー』に渡ったところも、興味深いですね。
それとも、これもシナリオ通りだったのでしょうか?
シェレンベルク指揮下のエージェントが、このロンメル将軍の裏切り行為を、ヒトラーに伝え、ロンメル将軍を処置するようヒトラーから命令が下った。ロンメル将軍はゲシュタポに検挙され、ヒトラー暗殺未遂犯らと一緒に適正処分された。
『砂漠の狐』と呼ばれたロンメルは、ウィキ上では自決となっており、国葬まで行われたとあるので、最後までナチスはロンメルを利用していたのではないでしょうか。
戦後、ナチス製原爆のいきさつを知る何人かのドイツ人が完成までの責任者の証言や、ベルギー移送後の極秘の事実を記録すべく調査に着手したものの、CIAはそれらを迅速な方法で妨害し、秘密は消滅したと見られている。
ベラスコは、ナチス製原爆完成を信じ切っており、その原爆を日本に投下したアメリカを頭から疑ってかかっていた。
ベラスコは言った。
「広島に投下された爆弾が、即、ナチス製の完成品そのものとは思えない。多分そのナチス製の原爆にアメリカ国内でさらに工夫をこらして仕上げ、そして広島に投下したのだと思う」
私(高橋)は質問した。
「ナチス製の原爆は間違いなくアメリカに渡ったと断言できるのですね?」
ベラスコは答えた。
「まったく事実だ。しかしアメリカ側はこの事実を無視または否定するだろう。ナチス製の原爆がアメリカ国内に運びこまれるまでに、アメリカ国内で原爆は完成していなかったのだ。多分、この事実を知ったら日本人は、相当驚くだろう。しかもこの事実はビッグニュースになるだろう。それにこの事実が世界に知られたら、アメリカが作ってきた神話が崩壊するだろう」
この話を裏付ける話がもう一つある。
↑この本なのかはわからないが、ドイツのセバスチャン・ハフナーの著書『ヒトラー注釈』の中で次のような描写がある。
『カイザー・ヴィルヘルム研究所』で原爆リサーチを行っていたオットー・ハーンを含むナチスの科学者10人は、戦後イギリスへ連れて行かれ、『ファーム・ホール刑務所』へ一時的に拘留された。
その時、イギリス情報局は当然これら科学者の監房に盗聴器を仕掛けておいた。
1945年8月6日に広島に原爆が落とされた時、そのニュースはラジオを通じてこれら科学者たちにも知らされた。その時の彼らの反応が興味深かった。
盗聴されているとは知らずに、彼らは広島に落とされた原爆についていろいろな反応を示したが、ひとつだけ一致した反応があった。
それは『なぜドイツが作った原爆が友好国日本に落とされたのか』という驚きの反応だった。」
これによってイギリス側は、ドイツの原爆開発がいかに進んでいたかをつかんだという。
セバスチャン・ハフナー|プロフィール|HMV&BOOKS online
また、広島に落とされたウラン型は、プルトニウム型に比べ、一回り小さいサイズであり、加工前はラグビーボール大の大きさだったことが裏付けられる。
さらに裏付ける事実として、アメリカは当時、ウランを使った核兵器実験の記録が、1度もなかったのである。
では、ドイツではどうだったのかというと
2005年3月16日付東京新聞によると
ナチス・ドイツが核兵器開発を実用化直前まで進め、核実験も実施していた──との新説を紹介した本『ヒトラーの爆弾』が、ドイツで出版され、信憑性をめぐり論議を呼んでいる。 著者のベルリン・フンボルト大学講師の歴史家ライナー・カールシュ氏によると、ナチスは1944年から45年にかけてベルリン近郊に原子炉を設置し、濃縮ウランを使った小型核兵器を開発。 1945年3月3日、ドイツ東部チューリンゲンで核実験を行なった。 被害は半径約500mにわたり、近くの強制収容所の収容者ら約500人が犠牲になった。 開発は、ヒトラーらナチス指導層も承知していたという。 新たに発見された旧ソ連軍の史料や証言記録、実験場所とされる土壌から放射能が検出されたことなどを「核実験説」の根拠としている。 ドイツでは1930年代から核開発が進められたが、ナチスは兵器化に熱心ではなく、ナチスの核兵器保有を懸念した科学者らの訴えを聞いた米国が先んじて、原爆を開発した──というのがこれまでの定説だった。 独メディアは新史料発見を評価する一方、「核実験説」の説得力不足を指摘している。
つまり、これが正しければ、残念ながら原爆による最初の犠牲者は、ドイツの強制収容所におられた方達ではないでしょうか?
1人FBIの見解
最後に、今回この記事を書くきっかけとなった、事件を知らせなければならない。
近日公開される『バービー』(ワーナー・ブラザース)と、アメリカでは同時上映されている『オッペン・ハイマー』(ワーナー・ブラザース)の、アイコラ(ミームとも呼ばれる)である。
また、アメリカ・ワーナー・ブラザース(公式)は、このツイッター写真が出ていた当時、『忘れられない夏になりそうですね』など、好意的な内容を返信したのだ。
mainichi.jp「バーベンハイマー」画像への反応を巡り…米ワーナー、映画『バービー』公式アカウントの言動を謝罪(コスモポリタン) - Yahoo!ニュース
映画「バービー」、原爆ミーム画像で物議 オンライン署名も開始 | ロイター
はい、これが今の(1部の?)アメリカ人です。
というか前述の科学者および登場人物達と、全く同じ方々です。
ドイツの強制収容所では、自分たち(アメリカ人)の祖先の方が、原爆実験で亡くなっているかもわからないのに、この有様です。
いや、現在もニューメキシコに住む『ダウンウィンダー』の方々は、癌でなくなり続けているのですよ。
また、こういう人たちが、映画は脚本家や俳優を使わなくても、『AI』でいいとか言い出すんだとも思う。
映画好きな人が『AI』だけでこしらえ(作っ)た、映画を(普通に考えて)観にいくと思うか?
『写真の中の花火』を観て、どこが楽しい?
『AI』でいいんなら、アニメでいいわ。
というか、今回も持論『地球宇宙刑務所説』が実証された気がします。
前回のブログにも書きましたが、宗教(神や仏)を『本当に信じている』のであれば、人を傷つける事も、戦争が起きることもないでしょう。
『人を傷つけよ』と書かれた教えがどこにある?
日本も気付かなくてはならない、この国は敗戦国であるということを。
敗戦国が、今なお他の国の支援をしている場合か?
これからもずっと?
この国はすでにエネルギーも、食料も自給できないんだぞ。
国葬で勲章を置いてどうする?
NATOに近づいてどうする?
アジアの中で、取り残されるぞ。
G7でゼレンスキーだけ呼んでどうする?
台湾の次は、日本だぞ。
今回のブログを、広島や長崎でお亡くなりになられた方々にご冥福をお祈りすると共に、現在も犠牲になられておられる方々、および、全ての戦争で亡くなられた方々や犠牲になられた方々、今なおアメリカで苦しみ続けておられる、ダウンウィンダーの方々に、捧げたい。
最後に1曲
今回はこの辺で・・・
OK,Let's go to the next star.🌠